経済学から読み解く、日本人の資産運用への向き合い方

Fintechがけん引する「貯蓄から投資へ」の流れ

ロボアドバイザーによる自動資産運用サービス「THEO(テオ)」を展開するお金のデザイン。同社でCOOを務める北澤直氏は一般社団法人Fintech協会の理事でもある。一方、大阪大学大学院経済学研究科准教授 安田洋祐氏の専門はゲーム理論、マーケットデザイン。新しい時代の金融のあり方を考えてきた2人が日本におけるFintechビジネスの現状、今後の展望などを実践の視点、行動経済学の視点も織り交ぜて語り合った。

Fintechのキーワード
多様性とネットワーク外部性、ナッジ

株式会社お金のデザイン 取締役COO 北澤直氏

株式会社お金のデザイン
取締役COO
北澤直氏

北澤 お金のデザインは金融工学とインターネットテクノロジーにより、金融の仕組みの民主化を目指しています。具体的には、「貯蓄から投資へ」という流れをつくることで、社会をよりよく変えていきたいと思っています。貯蓄から投資へという言葉はずいぶん前から語られてきましたが、日本人の多くは投資にあまり関心を持っていません。今日は、こうした現状についてアカデミックな視点からの見方をお聞きできればと思っています。

安田 前段として、まずFintechに対する私の見方、あるいは期待についてお話ししましょう。3つのキーワードがあります。第1に多様性です。今、ニッチかもしれませんが、多様なニーズに応える金融サービスが次々に始まっています。例えば、少額決済向けの新しいサービスが登場すれば、それを活用したネットサービスが生まれます。新サービスによって利便性が高まれば、ユーザーは増えるでしょう。個々のプレーヤーは独立していても、サービスとしてつながることでより大きな価値を創出し、産業全体として発展していく。そんな可能性が実現しつつあります。このような「つながること」による価値に着目するという意味で、第2のキーワードはネットワークです。そして、第3にナッジ。ナッジ(nudge)は「軽く小突く」という意味ですが、経済学と心理学の融合分野である行動経済学で、人々の行動を促す手法として活用されています。消費者の背中を最初に少し押してあげることで、利用を広げて好循環につなげていくことができます。2017年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授は、まさにこのナッジの生みの親で、行動経済学の実践に大きく貢献しています。

北澤 金融サービスの多様性が増すことは重要ですが、新しいサービスが増えることで「よく分からない」とか「何となく怖い」というイメージを持つ消費者も多いかもしれません。当社が提供するロボアドバイザー「THEO」にもいえることですが、ユーザーの不安をいかに取り除くかが課題です。その際、ナッジのアイデアは生かせるのではないかと思います。

株式会社お金のデザイン 取締役COO 北澤直氏

大阪大学大学院
経済学研究科 准教授
安田洋祐氏

安田 貯蓄から投資へという方向を考えるとき、しばしば米国の事例が引き合いに出されます。米国では数十年という長期で見ると、株式は上昇を続けており、個人の年金資産はかなり増加しました。米国人は「株好き」というイメージがあるようですが、昔からそうだったわけではありません。米国の年金が確定給付型から確定拠出型(401k)に段階的に切り替わったとき、多くの労働者は自分の年金プランの変化をあまり理解していませんでした。知らないうちに株式で運用されていて、10年後、20年後に気づいてみると年金が増えていた。「知らないうちに」というのがポイントです。貯蓄に近い低リスクの年金プランを選ぶこともできますが、一定割合を株式で運用するものがデフォルトのプランとして提案されます。強制ではなく、本人が希望すればそのプランから退出することもできるけれど、ほとんどの人はデフォルトのプランをあえて他に切り替えようとしない。ここに、ナッジの考え方が生かされています。

ナッジを活用して促す
貯蓄から投資への動き

北澤 多くの人が、デフォルトの提案に引きずられるということですね。そして、デフォルトの提案に乗った人たちは、長期的な株式の上昇によって成功体験を得た。翻って、日本ではバブル崩壊の失敗体験が大きかったのか、今も株式での投資に対して「ギャンブルのようなもの」と思っている人もいます。こうした誤解を払拭し、できるだけ多くの人たちに成功体験を持ってもらいたい。そこで、THEOで受け付ける投資は当初10万円からということでスタートしたのですが、2017年8月に1万円に引き下げました。資産運用の経験のない方が一歩を踏み出す際のハードルを、徹底的に低くしたいという思いからです。

安田 個人投資家の数を増やすこと、そして一人ひとりの投資額を増やすこと。それぞれが重要ですが、後者についてはもう1つのナッジが知られています。米国の政府は、個人の401kへの投資額を増やそうと考え「SMarT(Save More Tomorrow)」プログラムと呼ばれる新しい手法を導入しました。昇給時に、昇給額の一部を自動的に401kに回すのです。例えば、2万円の昇給であれば、その中から401kへの拠出額を5000円増やす。給料が変わらず年金分が増えれば手取りが減りますが、この仕組みなら手取り額そのものは増えます。さほど大きな抵抗感なしに、将来への備えを厚くすることができます。実際に、SMarTプログラムをデフォルトとして採用した企業では、退出する社員がほとんどいなかったことが知られています。

北澤 行動経済学の知見を年金プランの設計に生かして、社会の安定性を高める。とても素晴らしいアイデアですね。ところで、投資の世界には「やれやれ売り」という言葉があります。例えば、100万円の投資が90万円に値下がりしたとき。値上がりを待ち続けた投資家の多くが、100万円に戻ったところで売ってしまう。もっと長期で考えるのではなく、損を取り戻してやれやれと思って手じまいするのです。一方、毎月10万円ずつ10回に分けて投資した人の場合、同じような現象は起こりにくいといわれています。行動経済学の観点から見ると、「さもありなん」ということでしょうか。

安田 行動経済学には「参照点」という言葉があります。相対的な損得を考える上で、基準となる水準です。一度に100万円を投じた人にとって、100万円が参照点になることは明らかでしょう。人は参照点からの得よりも損に対して敏感だという傾向が知られているので、損失が解消した段階で心理的な達成感を得て「やれやれ売り」が起こるのかもしれません。これに対して、月々10万円の投資をしている人にとって、参照点は明らかではありません。だから、資産の増減について、それほど一喜一憂することはない。それが、やれやれ売りの回避につながっているのでしょう。行動経済学での説明は十分に可能だと思います。

金融サービスは数字の世界
日本発で世界に広がる可能性も

北澤 「人生100年時代」といわれる中で、老後の期間は長くなります。働き盛りの時期であっても、転職などのために一時的に仕事を休止するケースも増えるでしょう。お金のリスクに備えるための知識、金融リテラシーの重要性は高まっていると思いますが、現実にはなかなか難しい。安田先生はどのようなアプローチが望ましいとお考えですか。

安田 従来とは異なるアプローチが求められると思います。先に触れた米国の例のように、金融に興味を持つ何らかのきっかけが必要です。例えば、結婚を控えたカップルのように、切実なニーズを持つ人たちに向けて刺さる情報を発信するのはどうでしょうか。一般に、女性はお金についてしっかりしていますし、長期的な資産形成への関心が高い。そんな女性に向けて、効果的なメッセージを打ち出せれば投資に対する見方も徐々に変わっていくはずです。いずれにしても、現状では日本人は貯蓄のウエイトが大きすぎ、それがデフォルト化してしまって他の資産運用を妨げているのは確かだと思います。多様な金融サービスを経験することで、徐々に日本人の投資への態度も変化していくのではないでしょうか。

北澤 ここ数年、既存金融機関のFintechへの姿勢も変化しつつあります。以前はかなり消極的だったと思いますが、最近は「面白いものがあるなら、一緒にやろうよ」といわれることもあります。また、自前主義へのこだわりも薄れてきたようです。当社として、そうした金融機関と協業することもあるかもしれません。ただ、本質的に重要なのはユーザーにとっての利便性が高まること。この軸を大事にしながら、今後のビジネス展開を考えていくつもりです。

安田 日本のFintech企業には、大きなチャンスがあると思います。検索にせよEC(電子商取引)にせよ、これまでのネットサービスでは英語圏のアドバンテージが大きかった。英語圏で巨大なユーザーの塊ができてしまえば、日本発のサービスが太刀打ちするのは難しかったと思います。しかし、金融サービスは数字の世界なので、言葉の壁はほとんどありません。おそらく、自動運転にも同じようなことがいえるでしょう。日本生まれのFintech企業が世界に飛躍する日を楽しみにしています。

Profile

北澤直(きたざわ・なお)
株式会社お金のデザイン 取締役COO
慶応義塾大学法学部卒業、ペンシルベニア大学大学院修了(LL.M)、弁護士(日本法[第一東京弁護士会]NY州法)。モルガン・スタンレー証券に投資銀行員として6年間在籍し、不動産部門の成長に貢献。それ以前は弁護士として6年間、日本とNYにて金融・不動産関連の法律業務を手がける。
安田洋祐(やすだ・ようすけ)
大阪大学大学院 経済学研究科 准教授
2002年東京大学経済学部卒業。2007年プリンストン大学経済学部博士課程修了(Ph.D.)。政策研究大学院大学助教授を経て、2014年4月から現職。専門は戦略的な状況を分析するゲーム理論。主な研究テーマは、現実の市場や制度を設計するマーケットデザイン。