データ活用が切り開くこれからの社会・経済システム――「グレート・リセット」のその先へ

経済合理性を超え、多様な価値を提供するには

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世界は今、大きな変革期を迎え、持続可能な社会づくりに向けて既存の社会・経済システムの在り方を見つめ直す機運が高まっている。2021年の世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)でも、この「グレート・リセット」がテーマに据えられたことで話題を呼んだ。大きな潮目の中で人々の意識も変化し、経済的合理性の追求のみでは企業は投資家や生活者を引きつけることが難しくなっている。同時にデジタル革命の動きも加速し、データの重要性は増すばかりだ。「VUCA」と表現される変化の時代にあって、企業はどのような未来像を描き、その中にいかに自らを位置づけるべきだろうか。本稿では、「BITS2021」(2021年6月開催)において、気鋭のデータサイエンティストでもある慶應義塾大学医学部教授・宮田裕章氏が語ったこれからの社会、そして企業変化の方向性を紹介したい。

人々の意識の変化と「グレート・リセット」

世界的なパンデミックを契機に、2021年のダボス会議をはじめとして多くの場面で既存の社会・経済システムの在り方を見つめ直す「グレート・リセット(※)」が注目されるようになった。

※これまでの大量生産・大量消費を前提とした社会・経済システムを、持続的かつより良い世界の実現に向けて見直そうとする機運。2021年の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)のテーマとして発表され、話題を集めている。

「産業革命以降、人類の中心テーマは経済合理性でした。経済をどのように回すか、自分はそのシステムにどのように適応するか――。私たちの主要な関心は、そこにありました。しかし、人々の意識は大きく変わりつつあります」と語るのは、慶應義塾大学医学部の宮田裕章教授である。

「コロナ禍を経験したこともあり、『命や健康の大切さ』が改めてクローズアップされています。世界を見渡せば、米国のBLM(Black Lives Matter)運動が突き付けた人権や格差問題もあれば、地球環境問題もあります。加えて、経済的な合理性だけでなくダイバーシティ&インクルージョン、未来への持続可能性などのテーマにいかに向き合うかが問われています」

こうした意識変化は先進国だけのものではない。宮田氏は「途上国を含め、世界の共通目標が立ち上がりつつあります。例えば、人権や環境などの価値を考慮しない企業は、投資家を引きつけることが難しくなるでしょう」と続ける。確かに、ビジネス分野におけるESGやSDGsへの関心の高まりも、同じ文脈に位置づけることができるだろう。

写真:宮田裕章氏
慶應義塾大学
医学部医療政策・管理学教室 教授
宮田裕章氏

同じタイミングでテクノロジーの進化もまた、世の中の姿を変えようとしている。それがデジタル革命である。「データ駆動型社会へのシフト」と言ってもいいだろう(参考「鼎談:『データ・ドリブン・エコノミー時代』に備える企業経営の在り方(前編)(後編)」)。

「テクノロジー革新は、文明に大きなインパクトを与えてきました。農業革命や産業革命、インターネットを中心とする情報革命もテクノロジーによって起動され、社会や人々の暮らしを様変わりさせました。現在、人々の間にはスマートフォンやSNSが広く普及しています。そして、AIやIoT、データなどを用いた新しいビジネスやサービスが次々に生み出されています。今、デジタル革命は最終局面に入ろうとしていると感じます。私たちは、今後10年の間に社会構造やライフスタイル、民主主義の在り方を含めた大きな変化を経験することになるでしょう」

ここで気になるのが、デジタル革命で遅れの目立つ日本の現状だ。コロナ禍を通じてこれらも浮き彫りになった。例えば、新型コロナウイルスの感染状況を保健機関がファクスで集計するといった報道に驚いた人も多いだろう。また、IMD(国際経営開発研究所)の「世界のデジタル競争力ランキング(2020年版)」においても、日本は27位(全63カ国・地域中)だ。しかし、宮田氏は「悲観しすぎる必要はない」と話し、こう続ける。

「目指すべきは、デジタル先進国が使いこなすシステムの先、次の社会に求められるシステムづくりです。今度は、日本が『リープフロッグ(編注:インフラなどが未整備の地域に最先端技術が導入されることで一気に発展するような現象)』を実践するのです。変化の必要性を多くの人々が認識している今だからこそ、次の未来を目指すことができる重要なタイミングにあります」

一人ひとりの体験をデータで捉えて価値を提供する

宮田氏もまたコロナ禍に向き合いつつ、さまざまなプレーヤーとともにデータ活用を試み、挑戦を続けてきた。その1つが、神奈川県などでの感染リスク可視化の取り組みだ。

「まず実態を把握する必要がありました。そこで、LINEのような既存インフラを活用した調査ができないかと考え、自治体と連携してプロジェクトを始めました。『情報をください』というだけではあまり利用してもらえません。ユーザーにとって有用な情報提供を心がけました」と話す。その後、調査は全国規模に拡大。宮田氏のチームは約2500万人のデータを分析し、働き方などによる発症リスクの違いなどを明らかにした。例えば、接客を伴うサービス業では在宅勤務が可能な職種よりも大幅に発症率が高いことなどが分かったという(分析結果は、その後の新型コロナ対策にも生かされている)。こうしたデータ駆動型社会に向けた取り組みの成果について宮田氏は次のように語る。

「現行のワクチンに一定の効果があることは、科学的に確かめられています。短期的にはワクチンが有効な対策です。しかし、環境が変われば最善策も刻々と変化していきます。先の読めない不確実な状況の中、データを通じて何をすべきかを把握しながら、私たちは常に最善を目指す必要があります。世界に広がった新型コロナウイルスの流行は、VUCA時代を象徴する出来事です」

変化し続ける環境や人々の在り方を捉える手段の1つがデータである。宮田氏が牽引した新型コロナ対策プロジェクトはその一例だろう。世界各地、さまざまな分野においてもデータを活用した画期的な取り組みが進められている。ビジネス分野でこの動きをリードするのが金融分野だ。

「従来、金融機関が扱うデータの多くは顧客とのやりとりに関するものでした。これに対し、デジタル決済アプリ「支付宝(アリペイ)」などを提供する中国のアントグループは、顧客の体験価値創出に向けて多種多様なデータを活用しています。貸し倒れを防ぐ観点からは、公共料金の支払い情報の活用が効果的でした。公共機関にとっては、いわば“出がらし”の情報が、金融サービスにとっては大きな意味を持っていたのです」と宮田氏は話す。

データを活用する企業に求められる説明責任

クリエイターや職人文化にもデータに基づく動きは影響を与えつつある。パリコレなどで活躍するファッションデザイナーは、数年前、宮田氏に「インスタやSNSは、自分たちのクリエーションには関係ない。パリでは一握りの天才が人生をかけてファッションをつくる」と語っていた。当時は、宮田氏も「その通りだ」と思ったものだが、数年で状況が大きく変わったという。

「わずか2年ほどの間に、知人のデザイナーも私も、考え方がまったく変わりました。以前は『インスタ映えなんて』と思っていたのですが、今では、ファッションを身に着ける一人ひとりに寄り添うことの重要さを強く認識しています。データによって人々の体験を捉えつつ、その人々と『コ・クリエーション(共創)』を行う。その際に注意すべきは、『同じ人でもタイミングによって求める体験は違う』という点です。これからの時代はあらゆる価値を、適切なタイミングで届ける必要があります」

宮田氏が指摘するように、行動や各種体験のデータ分析を通じ、生活者に寄り添う提案やサービスが今後さらに実現していくだろう。それはつまり、あらゆる産業分野においてデータは企業の競争力を左右する重要性を持ち始めている、ということだ。一方で、データを蓄積する企業に対する社会の目も厳しさを増している。例えば、企業に個人情報の厳格な管理体制などを求めるEUの「GDPR(General Data Protection Regulation)」のように、当局による規制強化の動きもある。企業はこれらにも適切に対応しなければならない。「テックジャイアントも変わろうとしています。グーグルは『AI for Social Good』、マイクロソフトは『AI for Good』を掲げ、データを社会的な価値に役立てる企業姿勢を示しています。データに対する人々の関心が高まったことで、企業は人々からデータに関する説明責任を求められるようになりました。『正しいことのためにデータを使っています』と示さなければ、社会からの信頼を得ることはできず、十分なデータを集めることも難しくなるでしょう。信頼を失った企業は、デジタル革命の実現も難しくなる。やがて競争力を失ってしまうかもしれません」と宮田氏は指摘する。

一人ひとりの命が輝く「データ共鳴社会」への展望

冒頭で触れたように、デジタル革命への動きはグレート・リセットと同時並行で進んでいる。この点について宮田氏は「人々の考える『豊かさの尺度」も変わりつつあります。大量生産・大量消費時代の豊かさと、現代の豊かさは異なる内実を持っているからです。こうした背景を踏まえて、さまざまなサービスや価値は一人ひとりの豊かさを考えながら、パーソナライズされた体験を提供する方向に進みつつあります」と説明する。

写真:BITS2021の一幕(2021年6月)
BITS2021の一幕(2021年6月)

宮田氏が分析するように、個々人の豊かさを目指すとともに人々が共に豊かになれる社会づくりへの貢献が企業に求められているだろう。そのためにデータが役立つ場面は少なくない。新型コロナウイルスのワクチン開発は、その好例と言える。「当初、3~4年かかるとされたワクチンの開発期間は大幅に短縮され、9カ月で届けられることになりました。世界中でデータを共有したからこそこれらが可能になったのです」。人々の健康という価値の実現に向けても、データには大きな期待が寄せられている。ビジネス分野においては、多くの企業がパーソナルデータを活用したヘルスケアサービスを展開または検討している。同様の動きは、医療においても進行中だという。今後、これらに限らず、さまざまな生活シーンのデータも活用されれば一人ひとりの状況に寄り添った医療提供や各種サービスもさらに実現・充実していくはずだ。

宮田氏は「グレート・リセットの中で、私たちは経済だけではなく、人権や環境といったさまざまな軸の中で互いに影響を与え合いながら社会を形成しています。この中で大切なのは『共に豊かである』という視点。つまり『自分たちの在り方や生き方を響かせ合いながら、より良い社会をいかに創っていくのか』ということです」と語り、こう続けて講演を締めくくった。

「世界は今、大きな転換点にあります。この中で、データを活用することで私たちは『最大多数の最大幸福』から『最大“多様”の最大幸福』を目指すことができるようになったと考えています。そのカギは本イベントのテーマである『デジタルコモンズ』です。デジタルの力を用いて社会の共有財を構築するという新しいビジョンを共有し、一人ひとりが持つ多様な価値とさまざまなデータを掛け合わせることで、新たな未来や価値が展望できるはずです。皆さんと力を合わせることで、世界に新しい可能性が生まれる。そのために私自身も挑戦を続けていきたいと思っています」

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